スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
▲ pagetop
全教in東京
今年の全教は東京。
出場種目は1500M。

出発直前の練習は1000M。
フォームは崩れていたもののたぶん大学に入ってからの1000Mのタイムとしてはベストかな。
いや、むしろ土の上での1000Mとしては生涯ベストかも。練習としての準備はそこそこかな・・・

さらに、準備はもう一つあった。

ここ最近のレースでスパイクがあまり合っていない感じがしていたので、スパイクを大会直前だったけど買おうかなと・・・


でも、奈良にはないんですよ。中距離用のスパイクが。店頭に並んでるのはこぎれいな短距離用のスパイクばっかり。
せっかく高2からはき続けてるスパイクを5年ぶりに買い換えようとしてるのに。

だから、東京で買ってやりました。ぴったりのやつを。


しかし、東京での前日練習は予定よりもやりすぎて・・・
足に結構なハリを感じたたまま、試合当日。

体が動かないといけないのに、思うように動かない恐怖。
なんだか重い・・・
それでも、集中しまくってプラスの方向へ、前向きに前向きに。自分の弱気を押し殺して。

昨日テレビで北島が言ってた。
「言い方は悪いけど僕にとって試合は”戦争”だ」って。

俺もそう思う。いつもそうやってきた。だから、時に周りの人と温度差がでる。
まあこのことは後からの深い話のところで。。。


さて、いざレース。
みんながみんな同じペースできれいに走るもんだから、完全にポケットされちゃった。
走りづらい。走りづらい。

すこしスペースが空いたから外に出ようと思ったら、足ひねっちゃった。

去年靱帯切ったときと似た感覚。100Mくらい走ったけど、ダメだった。

精神的にもダウン。もう取り戻せないよ。プラスにはならない。

俺は今回、1500Mのベストを更新しようと思ってた。
全教は一本勝負で、レベルもちょうどいい。ついていけばいいタイムが出る。
そう思ってたから、足ひねったら完全なレースはできない・・・
全力出し切れないなんて。


足ひねってから100M。
ひるんで一気にスピードが落ちる。
スピードが落ちれば一気に体力が回復する。
そうなるとすぐに「このまま続けて、タイム悪くてもゴールする」のか「タイムが出ないなら辞めたほうがいい」のかという選択に迫られた。

俺は後者を選んだ。今回のレースは完璧を目指したから。

一気に気持ちが冷めたから。


大阪インカレと同じタイミングでトラックの外に出た。
はじめてのDNFの時と同じように、さっきまで自分が所属していた「1500M」という団体がどんどん遠ざかっていく。

人生二度目のDNF。またこんな思いするなんて。

医務室で足冷やしながら、悔しかった。「戦い」から離脱した自分は「勝ち」も「負けも」知らない。味わえない。

だから集合では何も言えなかった。全力で走れていないレースに感想なんか無かった。
そんな感じで何となく3回目の全教は終わった。


さて。ここからは深い話。長くて、きついことも書くことになりそうなので、読みたくない人は読まなくても・・・でも部活の人たちには読んで欲しいかな。もっと考えてほしいかな。

大沼君はわかるだろうけど、僕がここにこんなこと書くのはすごいんです。


全教後の諸先輩方のブログでのやり取り。
「チームとしてのまとまりが少ないのでは」と。
俺もそう思う。

それに比べ全教の集合では「みんな悔しいとかいうけど、本当にそれを持続させるかは自分しだいで、最後は自分なんだ」と終わったこと。

もう、違うんです。陸上は個人種目なんです。だから「チームのまとまり」はいらない。

もしかすると、諸先輩方の言ったような「チームとしてのまとまり」は、はなから理解されていないのではないか。温度差があるのではないか。全く違う次元の話をしてるんじゃないか。


本当は個人でやりたいけど、部活の最小限のまとまりはなくさないために・・・
だから個人が個別に頑張って、大会の時にまとまるという形をとった。
そんな理想を掲げてスタートしたけども。
本当に実現できたのか。
実現のために何か動いたのか。大会でまとまれるように布石を置いたのか。

「最後は個人」。確かにそうだろう。
そういう種目だっていえばそれまでだ。それ以上でも、それ以下でもない。
最小限のチーム。いわば「小さい政府」だろうな。

放任して、やるところはやりなさい。でも、結果が出ないなら自分のせいだろう。個々の練習には介入しない。
きっとそういうことが根底にあるんだろう。
だから、試合前にけがしても誰も怒らない。

だってそいつの記録が悪くなるだけなんだから。
「あーあ。かわいそうに」みたいな。

こんなもん部活なのか?

最近の部活を見ると俺はそう感じる。

部活として動いていれば、試合に万全な体調で臨めない時点で部員達に後ろめたくなるのが真の集団ではないのか。そして、どうしてそういう部員を出してしまったのかと考えるのが部活なんじゃないか。

「自分でけがして。。タイム悪くたって言い訳するなよ。」みたいな。そんな雰囲気あるんじゃないかな。
仮に、怒る人間が現れたって「自分のことなんだからいいだろ。とやかく言うな。」みたいになりそう。
世にいう最近の若者みたいな感じかな。



ここから先は、個人主義の人はわからないかもしれないけど、集団主義を肯定した前提としての話を書きます。そして、まとまった、強い集団を実現するために書きます。



「チームとしてのまとまり」ってなんだろうか。
おれは意識が共有できて初めて、集団だと思う。

意識の共有とは。
簡単なことだろう。
それは「この集団は何を目指しているのか」という意識を共有することだろう。

諸先輩方のやり取りにあったが、「陸上を楽しむことを大切に」ということ。
俺は、個人主義も集団主義も両者がこの論理を互いに利用したのではないかと思う・・・

個人主義の人は「みんな陸上が好きなんだから」ということを前提に個人競技を正当化したのでは。
集団主義の人は「みんな陸上が好きなんだから」という前提に立って、積極的な介入をやめたのでは。

ここでは集団主義の話をします。なぜなら俺は集団で陸上がしたかったから。


ここ最近「陸上が好き」という理想の陰で、問題は深刻化したんじゃないかな。
だから集団主義の人からすれば「まとまりがない」となる。
しかし、まとめるために何をしただろうか。「陸上が好きなんだから」といことに甘えて、まとめることを放棄したのでは。

俺は「陸上が好き」という言葉はすごく曖昧な言葉だと思う。

「陸上が好き」ってどうやって定義するのか???

「走るのが好き」「走ってる自分が好き」「陸上部が好き」「陸上を見るのが好き」「つらい練習が好き」「タイムを更新するのが楽しい」「陸上は全部好きだから全種目挑戦したい」「ほかの競技はよくわからないけど自分のやっている種目は好き」「陸上やってる人が好き」「誰かに褒めてもらえるから頑張るし、ほめてもらえるから好き」
俺が知ってる限りの「陸上が好き」はこれだけある。

一口に「陸上が好き」と言っても人によって温度差があるはず。


極端にいえば、陸上部の部活の時間でサッカーをやってそれが楽しく感じたとしても、「陸上が好き」ってなるんじゃないのかな。


これだけ「陸上が好き」には種類があるんだから、個人の中でも「好き」の感覚が変わっていくのでは・・・
若いころはタイムを更新することが好きだったけど、年をとると陸上の雰囲気に触れるだけで満足することだって大いにあり得るんじゃないか。



「競技を楽しむ」って言うのにしたって、温度差があるんじゃないかな。

初心者なら、競技場に入って強そうな人の中に入って走っただけで楽しいだろう。
ずっとやっている人なら、タイムが出ないと楽しくないかもしれない。
ずっとやってる人だって、陸上という雰囲気が既に楽しいのかもしれない。




「楽しい」とか「好き」っていう感情は自分の歴史の中の経験と対比して初めて生まれるんじゃないだろうか。とくに「陸上」というものに特定すればその傾向は顕著かな。



俺はさっき書いたみたいに、試合は“戦争”だと思ってやってきた。
「陸上が好き」だとかっていう生半可な気持ちでは勝てないと思ってた。
死に物狂いでやってる相手に、「好きだから」という理由だけで勝てるのだろうか。
もっと、なまなましい、「相手を潰す」ぐらいの気持ちじゃないと勝てないんじゃないのかな。
それに、失礼だろうな。
高校なら、自分の人生を切り開くために陸上をやってる人はたくさんいる。彼らと戦うんだから。



こんな風に「陸上が好き」という感覚は人によって違う。

普遍的な考え方じゃないものを、あてにして「みんな好きなんだからまとまるだろう」って言うのはどうだろうか。
「好き」という感覚を共有すること自体が無理だろう。
「好き」にはその人の歴史と絡んだ深い位置づけがあるんだから。

みんなが同じ「好き」を共有するのは無理だが、集団としての「目標」を共有することは可能だと思う。

集団としてのまとまりをつなぎとめる、いわば「かすがい」の役割を果たすのが「目標」だろうな。
会社なら社訓、学校なら校訓、学級にだって目標があったはず。



個人によって目標が違うからといって、手を放してしまうのか。
「目標」と「好き」は違う。
「好き」はアイデンティティレベルの話だが、「目標」はもっと周囲に影響されるようなレベルなんじゃないかな。

トップに立つ人間たちの「好き」を押し付けるのはエゴだけど、トップに立つ人間たちが「目標」を設定することは何らおかしいことではない。
そして「目標」を定めたのであれば、それに向かって引っ張っていくのがあたりまえじゃないだろうか。
引っ張ることをしないのであれば、もうトップに立つ意味はないのかもしれない。
(個人主義ならそうなのかな・・・)

低い「目標」の人間をどうやって高い「目標」まで持っていくか。
低い「目標」の人間の練習は簡単に見えるだろう。でも高い「目標」を持った人が引っ張って、一緒につらい練習をすることで、低かった「目標」も高くなるんじゃないのか。

それが意識の共有じゃないのかな。切磋琢磨じゃないのかな。それがチーム力なんじゃないかな。
チームとしての意識を持った時に、今よりももっと強く、激しく、陸上を楽しく感じるんじゃないのかな。
なぜなら、自分の「楽しさ」に加えて、部活としての「楽しみ」が加わるんだから。
だって、自分の所属してるチームの選手が頑張っているのを見るときはチームとしての意識が高いほうが思い入れは強くなるんだから。一喜一憂もするさ。
イチローの試合をテレビで見るのなんかとは違う、面白さがあるんじゃないかな。


いいんですよ人の練習に介入して。
いいんですよ「大きい政府」で。
だってまだまだ発展途上なんだから。


理想の陰に隠れて、本質が見えてこないということは大いにあり得るのでは。教育問題みたいなもんで。


最後に。
今の部活は個人をあまりに出しすぎたためにまとまりがなくなって、個人主義というものを守ってるようにみえて、部活の変な、まとまりのない雰囲気にのみこまれて、部活運営のほうに気がとられてないか。個人主義は集団にのみこまれて収集つかなくなっていないか。
結局は集団を意識していないか。
部活である限り個人で競技をやるなんて難しくないのかな。
集団というもののまとまりを軽視してきたつけが、今回ってきたような。
集団から目をそらしたことが結局は、自分の首を絞めてしまってないか。集団は引っ張らないと動かないなんてことはないと思う。集団だって一人歩きする。ひとりでに動き出す。
集団というものを円滑に運営できてこそ、個人があるのではないかな。個人の競技に集中できるのでは。

ド・モルガンの図でいえば大きな円が集団で、その中の小さい円が個人だと思う。

集団を実現するためには、それぞれの個人が譲り合わないと絶対にまとまらない。「個性」重視には限界がある。


以上が最近考えてたことの一部です。なんかまだ書き足りないけど文脈上これぐらいで。
読んでくれた人はありがとうございます。
これに対して意見を書いていただければ幸いです。








スポンサーサイト
陸上 | Comment : 20 | Trackback : 0
▲ pagetop
大阪インカレ
昨日は大阪インカレ。
今シーズン最初の試合。

1500Mに出場した。
しかし、レース中に最近痛めた膝が痛み出し、人生初のDNF。

そう「Did not finish」だ。

すごく切ない気持になる。

陸上、というか1500Mという種目を9年やってきて一度たりとも途中であきらめたことがなかった。

途中棄権はやむを得ないと思ってスタートしたが、意外と走れると思い800Mすぎまでは走りきれると思っていた。しかし1000Mを過ぎたところで膝が痛みだし、1100Mで走るのをやめた。

いくらつらくても走り抜いてきたはずの1500M。
やめるのはとても容易かった。

自分がいなくなってもレースは続いている。それを自分は外から見る。一気に傍観者。

何なんだこの感じは・・・

スタートしたものを途中でやめるということは、ゴールもしていない、あくまで中間地点で止まっただけだ。

なんか投げ出してしまった感じだ。

確かに膝が痛くて走れなかったかもしれない。しかし、ものすごく虚しく切ない。

レースは一回走り出すと、ゴールするものだと思っていた。いや、当たり前すぎる事柄で考えたこともなかったのかもしれない。


陸上以外では確かなゴールがある事はすごく少ないかもしれない。だから1500Mでスタートするときに「ゴールありき」でスタートしたことがないのは割かし当たっているのかもしれない。ゴールを意識するよりもレース中に何がどうなるかのほうが大事で、いつの間にかゴールしてる。

だからこそ途中であきらめちゃいけない。途中であきらめたらその目標を目指している自分以外の人々をただ外からみる傍観者になる。そんな傍観者にはゴールもない。スタートしたけれどゴールしない。

なんか今思うと昨日の1500Mはそんなことを教えてくれたのかな・・・・・



場面はガラッと変わって、大会後の飲み。
はじめは3回生3人で飲んでいた。そのあとにもう一人来て、3回生が4人そろった!

四人だけで飲んだりするのは一回生の夏以来か・・・・

話はすごく盛り上がった。

「コンゴ」から「チュンリー」、「○○○○娘」まで。

あんな飲み会をもっとしていきたいな~

なんてそんな一日だった。

陸上 | Comment : 0 | Trackback : 0
▲ pagetop
十種 ゴッドチャイルドの神秘
初めて十種競技というものにでた。英語で言うとデカスロン。ハヤトの兄やんはデカスリート。
自分は腰痛のため四種目で終了。つまりテトラスリート。途中で終わっちゃ全く充実しない種目だ。
四種目目だったポールで腰に激震が・・・歩けなくなりそうになったのでそこでリタイヤ。まあ、この種目に関してそこまで頑張ったわけではなかったので悔しさはなかったのだろう。
きっと悔しさは自分のふがいなさに怒ることで生まれる感情なんだろう。だから努力の伴わないものはいくら棄権しようと自分に対して怒らない。怒りがないということはどちらかというと切ない。

大会の雰囲気は試合というよりは記録会。いや、市民マラソンだろうか。

自分が棄権してからは、この大会の中に広がる何か自分とは違う陸上のやり方、考え方を理解したかった。
明らかに自分とは違う価値観で陸上競技をする人々。
先に「市民マラソン」と書いたのは、「マラソンという過酷な競技をいい年したおじさんが好み、楽しそうに走るのはなぜだ?」という疑問にこの大会での出場者の雰囲気が合致していたからである。

混成種目の得点表をすべて暗記してしまうほどの人。十種目では足りないから水郷に水を貯めろという人。まあどちらも神がかりな言動だ。

はっきりいって、健康スポーツからはかけ離れていることを楽しそうにこなす。
記録ではなく、その場の雰囲気を楽しむ。
彼らにとってはそれが陸上であり、趣味なんだろう。

以前ブログに書いた趣味と仕事の考え方に当てはまる。

趣味の答えは何なのか。
それが彼らの考える陸上なのか。

自分のしてきた陸上は、彼らと対比すると完全に仕事だ。陸上にいらだち、不安になり、楽しさはどこへ・・・

趣味としての陸上。楽しむ陸上。一生続ける陸上。
今回の大会で垣間見た、真実。
理解したかったが、自分には理解できなかった。
まだ陸上を楽しむことは理解できないのか。
こんな簡単そうにみえる疑問は2日間では解けなかった。




陸上 | Comment : 3 | Trackback : 0
▲ pagetop
練習
今日もポールの練習した。
今日はポールに乗れたかな。グリップを持ってできた。ビビらなければいける。

槍は相変わらずセンスなしだ。

練習の後いった奈良女の学際。クロちゃんの友達と話している姿はとても新鮮だったんだなぁ
タカアンドトシもいました。
陸上 | Comment : 0 | Trackback : 0
▲ pagetop
陸上観
今日初めて棒高跳びをした。
素直に楽しかった。


陸上を始めたのは中学。厳密にいえば小5。。
小学校の頃は走ることが好きだった。走り回ってた。走ることが好きと思ったことなんてないと思ったけど、今思えば小学校がそれか。

「走ること」は中学に入って、「陸上競技」に急変した。
名前は呼び捨てだし、敬語も挨拶も徹底された。まさに異文化だ。
毎日顧問の顔が夢に出る。

この間ふと中学の時は一年でどれくらい部活の休みがあったか考えた。
週に一回あるかないかの休み。一ヶ月でも多くて4回。一年に48回。
少しの夏休みと冬休み。あとはテスト休み。合わせても年に70日ほどしか休んでいなかっただろう。

陸上しかしていなかった。走り続けてた。

脇見なんかしなかった。

結果も出していた。しかし練習は結果を求める練習になっていった。体がだるい日だって練習だ。

中学の友達にはいつも言われた「走るのって楽しいの?」おれはいつも「うん。楽しい。走ってみないとわからないかもね。」なんていった。

高校は陸上で選んだ。
中学とは違う環境。厳しい。入ってから一年半、自己新なし。
何のための陸上なのか。誰のための陸上なのか。何のために重い体を奮い立たせて練習し、大会に臨むのか。そんなことを毎日考えた。

ずっと不安だった。落ち着く暇はなかった。常に陸上だ。
「中学でいい記録を出すやつは高校では伸びない。」自分はそれなのか。

高校3年でやっと納得のいく走り。久しぶりの快感だった。

しかし、高校でも聞かれる同じ質問。「走るのって・・・」
おれの答えは「うーん。笑」
ごまかすようになっていた。

たぶん自分の中で嘘をつきたくなかったのだろう。

部活を引退して、親から「楽しく走り続けてほしい。」と言われた。おれは「楽しく走るってなんなんだ。」とこたえ、少し口論になってしまった。

高校まででおれの陸上観いや「走ること」は仕事になってたんだ。
楽しくする仕事なんてあるのか。楽しい時もあるかもしれないけど深いところでは絶対辛さがある。

大学に入って陸上を続けた。本当はやらないつもりだったのに。

大学でも決まって聞かれる「走るのって・・・」
おれは「好きじゃない」と答えるようになった。
それはたぶん陸上を通して学んできたことが今生きだしてきてるから。そして、大学での陸上は競技はもちろんいろんなことで充実し、学んでいるからだろう。だから堂々と「好きじゃない」と言えるようになったのかもしれない。


長くなったがそんな最近。いや今日。久しぶりに(これまでの文面からいけば小5以来か)陸上競技が楽しいと感じた。

出会うはずのない棒高跳び。

初めて大会に出た時からおそらく大会と名のつくものはすべて1500Mを中心とした中距離を走っていただろう。

棒高跳び。少しの間だったけど夢中になったな。

もう少し夢中にさせてください。
陸上 | Comment : 2 | Trackback : 0
▲ pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。